Jeet Kune Do is just a philosofy!

 「ジークンドーとはただの哲学です。」

 武道、格闘技と呼ばれている流派は世界中にたくさんあります。日本だけでも、空手道、柔道、合気道、剣道、居合道、弓道、少林寺拳法、日本拳法、ボクシング、ムエタイ、テコンドー、レスリング、柔術、クラブマガ、システマなどの道場、ジムが存在しています。それらから派生した新らしい新興の流派も生まれています。今後も新しい流派が生まれ続けることでしょう。どの流派、スタイルにも当然、練習内容が決まっていてそのカリキュラム、習得段階があり基本から習い、少しずつレベルアップし次の中級へ、そして上級を目指していきます。これは武道だけではなくスポーツしかり習い事すべてに共通する点でしょう。どの習い事も基本の繰り返し地道な反復練習に多くの年月を費やしながら習得、体得していきます。
  少しずつでも必ず上達していく課程が練習カリキュラムにまとめられていて、その内容に沿って練習すると上手になっていく。教則、マニュアル、教範とよばれる手順書がどの流派にも存在しているはずです。初心者は初心者向けの練習、中級者は中級者向けの練習、上級者は上級者向けの練習をマニュアルに沿って練習していると思います。ある程度の技術が身についてきたら次の段階、実際にその技が相手にかかるか?使えるか?約束組手、相対演武、自由組手、スパーリングなどと呼ばれるお互いケガをしない程度にコントロールしながらの対人攻防練習をします。武術ですから多少のケガは致し方ないとは言え、続けたいのであれば大きなケガはしない方が良いですね。もしケガをしたならば適切な治療をへて治癒してから練習再開した方が上達が早いはずです。休養も練習のうちといいますし・・・末永く続けたいのであれば無理をせず楽しみながらあまり気合いを入れすぎない!焦らない!これが練習を続けるコツだと思います。
  ではジークンドーに教則、マニュアルは存在するのか?あるのは彼によって書き残された文章、メモや8mmフィルムなど。生前のブルース・リーが20数種類の流派から取り入れたテクニックとそれを彼が使いやすく改良した格闘術「ジュンファン・グンフー(振藩功夫)」の記録です。将来それをまとめ上げ書籍の形にして残そうとした意図はあったようです。それを出版したかどうかはわかりません?彼の20年ほどの武術歴で彼自身が体験し研究し試行錯誤しながら創造しつつあったオリジナルの格闘術が「ジュンファン・グンフー」「ブルース・リー拳法」です。
  ただ残念ながらジュンファン・グンフーは、彼の死をもって消滅してしまいました。32歳の短い生涯を閉じた時点でなくなってしまいました。彼は生前どんな練習をしていたのか?どんな流派に惹かれどんな技を取り入れていったのか?彼の武術歴、所持していた蔵書、書き残した文章、映像に残った動き、直接手ほどきを受けた直弟子のテクニックなど、彼に関するありとあらゆる資料をすべて集めて分析するしかありません。それこそ最近話題の生成AIにすべてのデータを読み込ませ再現を試みたとしてもかなり難しそうですね?今後の生成AIの進歩によりどこまで完全再生に近づくことができるかが楽しみです。
  1996年にブルース・リーの遺産を後世に伝えようという意図でリンダ・リー・キャドウェル女史と娘シャノン・リーさんが「ジュンファン・ジークンドー・ニュークリアス」という団体を立ち上げました。現在は、「ブルース・リー・ファンデーション」と改名し新たな事業体系で継続しています。この時にリンダ女史は、記録に残っている直弟子の方々に声をかけ協力を要請しました。そして10数名の直弟子の方々がアドバイザーとなり各自がブルース・リーから習った技を持ち寄りジュンファン・グンフーを体系付ける作業が行われました。リンダ女史からブルース・リーが書き残した文章、メモ等の資料すべてを渡されそれをまとめ編集を任されたのがジョン・リトル氏です。ボディビル雑誌の編集者をしてみえた方です。
「私は、こういうテクニックを教わりました。」
「私は、こういう練習方法を教わりました。」 「私は、こういう道具を使い練習しました。」
「私は、技術だけでなく思想や哲学的なことも教わりました。」
 それは多くの意見が出されたことでしょう。各自、師事した年代も期間もばらばらですからかなり大変な事業だったと思います。ブルース・リーが1959年、香港からシアトルへ渡り1970年映画製作のため香港に戻るまでの約10年間の武術修行期間中、詠春拳を母体とした中国武術にボクシング、ムエタイ、空手、柔道、柔術、合気道、テコンドー、レスリング、フェンシング、カリ・エスクリマなどのテクニックを研究、吸収していったわけです。その間に、彼はシアトル、オークランド、ロサンゼルスと居住場所も変えています。彼が何歳の時にどれくらいの期間、どんなテクニックを習ったのか?これらを持ち寄りまとめ上げることがどこまで可能なのか?ブルース・リーの実際のジュンファン・グンフーにどこまで近づけるのか?個人的に私は不可能に近いのではと感じています。彼がかつて習得したテクニックがいくつあるかなんて事は、本人にもわからなかったはずです。加えていきながら捨てていったものもあったでしょう?晩年のジュンファン・グンフーの3割でも復元できれば御の字です。
  日々、変化・進化・改変し続け停止・静止しなかったジュンファン・グンフー、1973年に世を去った後、もし50年後の現在ブルース・リーが生きていればジュンファン・グンフーはどんな技術体系になっていたか?82歳の彼が今、どんな練習をしどういう教えを説いていたか?50年前と同じ練習をしていたとは到底思えません。水のように流れ続けたはずです。彼はいつも「流れ続け、歩み続けなさい」と言っていました。まさに「Be water, my friends!」「Walk on!」です。
  個人的見解ですが、ジークンドーの思想は、老荘思想、禅、クリシュナ・ムルティを主軸において考えられていたようです。ジークンドーとは武道の流派ではありません。武道、格闘技を練習し体得していく上での心構えみたいなものです。教え、思想、哲学とでもいいましょうか?武術体系ではなく精神的な成長を促す教えです。生きている間は、もっと多くの中国思想、西洋哲学、宗教世界などを研究し心の平安を求め続けていったことでしょう。

 「ジークンドーでは、こう突きます!ジークンドーでは、こう蹴ります!ジークンドーでは、こう投げます!ジークンドーでは、こう受けます!」という説明は、正確ではありません。「これがジークンドーのテクニックでありこのとおりに寸分違わずに正確な動作を行ってください。」というのではなく「これがジュンファン・グンフーのテクニックのひとつであり、私はこのテクニックをこう理解してこういう動きをもって表現しています。師祖ブルース・リーの動きと少し異なるかもしれません。あなたもこのテクニックの本質がわかれば私の動きを完全にコピーする必要はありません。」と諭してこそ本当のジークンドー指導者だと思います。「1ミリ、1秒もずれてはいけません。私の動きを完全にまねて下さい。それが出来なければジークンドーではありません。」とふんぞり返っている指導者は、最も基本、ジークンドーの根幹を理解していないのではと心配になります。ブルース・リーが生前、書き残した多くの文章を読んでその意味を正確に理解出来ていれば、こういう固定的で厳格的な発想は最初から出てこないはずです。

 「私は、新しいテクニック発明したり、つくったりしたことはありません。すでに存在し継承されてきた流派のテクニック(技)を習い自分自身に合ったものを選び、そのまま使えそうであれば使い、時には自分流にアレンジしその技が一番有効な局面に使います。中にはこれは自分には向かない、使えそうもないなという技術もありそれは、あっさり諦め捨て去ります。」と彼は、言っていたようです。

  武道ですから相手がいて、相手との攻防が始まります。いかに有効な技を相手より先にかけるか?敵がこうしてきたらブロックしてキック、ああしてきたらパンチ、そしてブロックと同時にアタック、相手の動きにうまく反応して有効打をきめる、投げる、絞めることができれば良い訳です。一瞬で決まることもまれにあるでしょうね!言うは安し行うは難しで、少しでも武道をかじった人には、それがどれほど難しいか察しがつくと思います。当たり前ですが相手の動きはあらかじめわかりません。闘いが始まればお互いに体も心も動き変化し流動し始めます。まず間合いの変化がおこるでしょう!遠い間合い、中間の間合い、近い間合い、組み合った間合いなど距離が変わり続けます。その一瞬の局面でどのテクニックがベストなのか?吟味して選び出している時間はありません。拳や肘や膝や足先が勝手に動くのでしょう。自分の意志を超えて・・・
  最後に自分が立っているか?相手が立っているか?どちらかです。自分が立っていられるように日々、練習を継続する行為、歩み続ける行動が「悟り」そのものだと思います。到達点、着地点、ゴール、境地などという静止した場所ではないはずです。流れ続けること流動性が悟りそのものではないでしょうか?

  ここではテコンドーの蹴り、ここではムエタイのローキック、ここでは空手の突き、ここではボクシングのフック、ここでは柔道の大外刈り、ここではシラットの投げ、ここでは詠春拳のトラッピング、ここではレスリングのタックル、ここでは柔術の腕ひしぎ十字固めと相手との間合いやリアクションに攻防中の流れに無意識に反応できるか?最終的に自分に有利な体勢に持ち込めるか?
  それにはそれぞれの流派の動きを研究、洞察して自分に合った技を練習し会得する必要があります。ブルース・リーは、世界中にある様々な格闘技の書籍を蒐集しそのテクニックを分析したノートが沢山残っています。このテクニックは実践的だし自分にも使いこなせそうだと感じた技は、貪欲なまでに習得していったようです。それと彼には、流派のエッセンスを見抜き、自分に適した実践テクニックを選び出す動物的な勘が備わっていました。
  複数の流派をいくつも起用に習得できる人もいるしひとつの流派を一生かけて使いこなせない人もいるでしょう?個人の資質である身体能力、反射神経、忍耐力などが影響してきます。なるべく多くの流派の技を沢山習得せねばならないのか?まったく知らないよりは少しでも知っていた方が有利だとは思いますが・・・ 人間の能力には限界がありますからすべての流派をまんべんなく習うなど不可能です。自分の体型、筋力的運動能力反射神経、内面的精神など持って生まれた自分の特性を生かした戦法を模索して修行していけば良いのです。
  素手の格闘技では、よく間合いについて語られます。ロングレンジ、ミディアムレンジ、ショートレンジ、コンタクトレンジの4つの間合いがあります。ロングレンジは、足が届く蹴りの間合いでミディアムレンジは、手が届く突きの間合い、ショートレンジはヒジやひざが届く間合い、手を叩いたり引っ張るトラッピングもこの間合いに入るでしょうね。コンタクトレンジ、グラップリングレンジとも呼ばれ組み合った状態です。総合格闘技(ミックスド・マーシャルアーツ)は、すべての距離が有効ということですからルールの制限が一番少ない、トータル的な闘いが可能でブルース・リーが目指した理想の格闘技に近いとも言えると思います。もし彼が生存していたら間違いなくグラウンドでの技術、レスリングやブラジリアン柔術など習得していたことでしょう!自分の実技スタイルであるジュンファン・グンフーに取り入れていたと思います。これがまさしくジークンドー哲学の真髄です。
  彼がかつて香港で習った詠春拳に渡米後にテコンドー、ムエタイ、空手、柔道、合気道、レスリング、フェンシング、ボクシング、カリを取り入れたら詠春拳ではなくなってしまい「ジュンファン・グンフー(ブルース・リー拳法)」自分のオリジナルスタイルだと名付けた訳です。武道の修行とは一つの限定された固定された世界にとどまらず、修行者の個性に重きをおいてもっと自由に修行すべきである。この教え、考え方を「ジークンドー」と呼ぼうと決めたのです。もしこの自由な発想から生まれた哲学・思想がなければブルース・リーは詠春拳の先生で一生を終えていただろうし映画俳優としての成功はなかったはずです。何度でも言います。ジークンドーとはスタイル、流派ではありません。色も形も動きもありません。武道を修行するうえでの心得、思想です。 「ジュンファン・グンフー(ブルース・リー拳法)」と「ジークンドー」は実践技法と哲学の関係であり同一にしてはいけません。
  残念ながらジュンファン・グンフーは、彼の死をもって消滅してしまいました。まったくもって未完成のスタイルでした。完成はありませんがそれをめざして探求、習得し続けたはずです。後30年ほどの時間があればもっと体系づけられたジュンファン・グンフーになっていたように思われます。私の師事したイノサント師父・バステロ師父は、ジークンドーの本質を理解していました。すべての制限、誓約、規則に縛られることなく自分自身の心の奥に存在する執着をありのまま見つめ、そこから自由へと羽ばたく方法を教わりました。凝り固まった自我を溶かし安寧をもたらす教えがジークンドーの思想ではないかと考えています。         
                             
6/22, 2023