1959年 | 3月17日、愛知県で誕生 |
1974年 | ブルース・リー主演の映画「燃えよ!ドラゴン」に感銘を受け 空手、少林寺拳法を習い始める |
1979年 | 映像、フィルム関係を学ぶ目的でロサンゼルスに留学 |
1980年 | ブルース・リーの直弟子「ダン・イノサント師父」「リチャード・バスティロ師父」が主宰する道場、 「フィリピノカリ&チャイニーズボクシング・アカデミー」に入門 |
1982年 | 一時帰国 |
1984年 | 両師が新しくオープンさせた道場「IMBアカデミー」に入門 |
1986年 | 帰国後、東京にて少人数のセミ・プライベート形式で ジークンドーとフィリピン武術の指導を始める |
1989年 | 日本人初のジークンドーとフィリピン武術のインストラクターに認定 |
1992年 | 3度目の渡米、「イノサント・アカデミー」に入門 |
1996年 | 帰国 |
1997年 | 東京の二子玉川に「ミタチJKDアカデミー」を開校 |
2001年 | 東京の水道橋に移転、「ミタチ・アカデミー」として再スタート |
2005年 | 「IMBアカデミー」のリチャード・バスティロ師より シニア・インストラクターの認定を受ける |
2006年 | アメリカ武術協会(US Martial Arts Association)から ジークンドー・パイオニア賞(Jeet Kune Do Pioneer)を受賞 道場を品川区の戸越銀座に移転 都内唯一のジークンドー常設道場として現在にいたる |
ジークンドーについて


ジークンドーとの出会い
まず最初に、ジークンドーを知るきっかけとなったアクション・スター「ブルース・リー」との出会いについてのお話をします。1973年、日本で初めて彼の映画「燃えよ!ドラゴン」が公開されると同時に、世界中でドラゴン・ブームが沸き起こりました。当時、高校生だった私も映画の中で見せる圧倒的な強さ、華麗なダンスのようなスピーディーな動きに、「これは一体何だ?」と驚き魅了されました。
その後彼に関する雑誌や書籍が次から次へと出版されるようになり、彼のアクションは、截拳道(ジークンドー)という、彼が創始した独自の武術であるということが知られるようになりました。その当時、これは何か特別な武術ではないかと思い込み、ジークンドーが単なる哲学・考え方だとは、知るよしもありませんでした。
ブルース・リーにあこがれて
映画の影響を受け、彼のように強くなりたいと近所にあった空手の道場に入門しました。しかし半年ほど経った頃から、「思っていたものと何か違う」。そんな言葉にできない違和感を空手の基本稽古で感じるようになりました。そうこうしているうちに、知り合いから少林寺拳法の道場が新しく出来たという話を聞き、少し遠いところにあったのですがそこに通うようになりました。
その後の1979年、映像関連を勉強したいと思いロサンゼルスに留学。ここで偶然、ロサンゼルス近郊のトーレンスという街にブルース・リーの流れを汲んだ道場があるという情報を耳にしました。それが「Filipino Kali & Chinese Boxing Academy」というイノサント師父とバスティロ師父の両師が主宰するスクールでした。
後に車を手に入れ通えるようになったため、80年に入門。この時の武道経験は、空手半年、少林寺拳法2年ほど、加えて学校の部活で柔道を少々かじったくらいでした。生徒は、白人や黒人、アジア系ヒスパニック系で、日本人は、他にはいませんでした。
ここでは、ボクシングやキックボクシング、詠春拳の手技、フィリピン武術エスクリマ・カリの練習が主体でした。その中でジークンドーとは、スタイルや流派ではなく、ブルース・リーが提唱した「考え方」だということに気がつきました。
この教えを彼は、「ジークンドー」と名付けた訳です。武術を通して自己啓発、自己発見を継続していきなさいと言いたかったのではないでしょうか?私はそう理解しました。
ブルース・リーが、詠春拳を基礎として20種類以上の流派を研究、吸収することで誕生した格闘術を「ジュンファン・グンフー」「ジュンファン・キックボクシング」と呼んでいました。中国名、李振藩(リー・ジュンファン)からジュンファンを用いて自分流の拳法、クンフーであると主張したかったのでしょう。ジュンファン・グンフーは、彼が生きている間、変化し続けたと思います。ジークンドーの思想をもとに武術修行を続ければ、ジュンファン・グンフーはさらに進化していったことでしょう。
一旦帰国して、1984年に再度渡米した時には、「IMBアカデミー」へと道場の名前が変わり場所も移転していて、とても広く設備も整っていました。ウェート・トレーニングジム、ボクシング・リング、ヨガ、ストレッチルーム、シャワールームも併設されていました。
92年から96年の3度目の修行時には、「IMBアカデミー」と「イノサント・アカデミー」に分かれていて、私は「イノサント・アカデミー」で練習をし、時々「IMBアカデミー」で自主練習をしていました。この時期にはクラスが細分化されていて、シラット、ムエタイ、サバット、シュート、柔術などのクラスから、生徒各自が習いたい流派を選択することができました。それぞれの流派に特徴があるので、その特性を踏まえ自分に合ったものを選ぶというジークンドーの教えに沿ったカリキュラムになったのだろうと思いました。
アメリカでの武術体験で感じたことは、映画の中でみせたブルース・リーの華麗な技の数々は、やはりエンターテイメント用に誇張された部分が多々あったということでした。人をいかに惹きつけるにはどうしたら良いか?彼は、一生懸命考え綿密に立ち回りを組み立て、すべてを映画用の派手なアクションにするのではなく、所々に実戦的な技をちりばめました。実際に習ってきた技が映画のアクションシーンの所々で使われているのを発見したとき、少しは彼に近づけたようで嬉しくなった記憶があります。
日本での普及
1996年、3度のアメリカ滞在を終えて日本に戻り、以前からの武道仲間や興味のある親友らに声をかけ、5~6人でサークル的な形で練習を始めました。その時、いわば趣味の延長として小さなグループに指導をしていたのですが、指導を続けていくうちに、他にも興味を持ってくれる人がいるのでは・・・?もっと多くの人に伝えても良いのでは・・・?と感じ始めます。
ブルース・リーが世界中に広めたいと考えていた「ジークンドー」を、次の世代へもっと多くの人に伝えて残していきたいと思うようになっていったのです。
その想いで、日本で教えを説く道場を開設しようと決意。技術体系としての「ジュンファン・グンフー」と哲学・思想としての「ジークンドー」を公開し、多くの人と交流し共に練習することが、自分の成長をも促してくれるに違いな考え考えました。
精神的な支え
今、少年時代を振り返ってみると、中学生の頃までは整列をするといつも前から3~4番目のいわゆるチビの部類に入っていました。性格もおとなしい方なのでかなり軟弱にみえたと思います。当時は、自分が武道や武術、格闘技などという物騒で危険なものに関わるなど夢にも思っていませんでした。「ケガをしたらどうするんだ?あぶないことはしたくない!」今もそうですが内気なところがありました。幸いその後、身長は人並みに伸びましたが・・・
冒頭の「ジークンドーとの出会い」で書いたとおり「燃えよ!ドラゴン」という1本の映画が人生を決定づけるとは本当に思いもよりませんでした。ただ、この歳になってそれも必然であり、自然にそうなったのだろうと納得しています。
日本の武道には、相手を倒す技、技術、理法だけでなく精神性を養う教えが存在します。ほとんどが神道か仏教の禅宗と結びついたといわれています。敵に相対したときの心構え、動揺しないよう心の冷静・平穏を維持するための方法です。それ以外にも普段の生活のなかで遭遇する苦悩、困難にうち勝つ方法などが教義のなかに含まれています。
敵を倒す殺すだけではなく、自分の心や内面も磨いて修行を続けていく。精神的な悟りをめざす。よく言われる「肉体と精神の統一それが悟りであり、武道家は文武両道を目指さなくてはならない!技術だけではだめである!」ということです。
簡単に置きかえると、文が「ジークンドー思想」、武が「ジュンファン・グンフー」これをバランスよく追求していく道がジークンドー、文武両道の修行の理想ではないか?と私は理解しています。
ジュンファン・グンフーの消滅
ジュンファン・グンフーは、ブルース・リーが32歳でこの世を去るまで、20種類以上の流派から技を研究、吸収し自分自身の身体に実践できるようアレンジしながら作り上げた技術体系です。
その技術体系は日々増減していて、吸収して増やしただけではなく捨てて減らしたこともあっただろうと推測します。自分が10代の頃熱中して習得した技、20代で習得した技、30代で習得した技は違ったはずですし、10代でできた技が30代には出来なくなった。加齢により身体能力が衰え、若い時にはいとも簡単にできたことが出来なくなってしまった。そんなことが当然彼にもあったことでしょう。
32年の人生で彼はいくつの技を習得し、いくつの技を破棄し、32歳の時はいくつの技を知っていたのか?いくつの技を実際に使えたのか?彼自身も数えたこともなかっただろうし、技の数には興味はなかったはずです。技を沢山知っていて実践出来る人が強いわけでもなく偉いわけでもありません。
あえてわかりやすく数を想定してみます。例えば1,000の技を習得し、300の技を捨て、32歳のブルース・リーは700種類の技を保持していたとします。この700種類の技をすべて書きとめていたわけでもビデオにとっていたわけでもありません。厳密な言い方をすれば彼の習得していたジュンファン・グンフーは、彼の身体がこの世から消え去った時点をもって消失してしまいました。
ただ彼なりに書きとめていたメモやタイプ打ちされた書類などが沢山残っていて、アメリカでは10数冊ほどの書籍にまとめられ出版されました。これらの書籍には、テクニック、技術的なものも思想、哲学的な内容も含まれています。
アメリカのシアトル、オークランド、ロサンゼルスには、生前のブルース・リーに直接、手ほどきを受けた生徒さんもいました。手ほどきを受けた生徒さんを一同に集めて、どんな練習をしたかをまとめることで、ジュンファン・グンフーの正しい教則本をつくるためジークンドーの遺産を後世に残していくために、1996年にリンダ・リー・キャドウェルさんとシャノン・リーさんが「ジュンファン・ジークンドー・ニュークリアス」という団体を立ち上げました。しかし残念ながらマニュアルは、現在もまだ完成はしていません。団体名を「ブルース・リー・ファンデーション」と変更し、ドラマ製作、オリジナル商品開発・販売、若者育成の奨学金制度、教育事業などの分野にもすそ野を広げ精力的に活動しています。
生前のブルース・リーに直接師事された人々は、短期間か、長期間か、彼が何歳の時かなどそれぞれですが、幾つかのジュンファン・グンフーのテクニックを習ったはずです。その人たちの中には、彼の死後道場を構えた人、少数制のサークル活動的に教えた人、自分だけで練習した人、はたまたまったく武術から離れてしまった人もいると思います。リンダ女史が知る限りの直弟子に集まってもらったのも、このバラバラのテクニックをすべて集めれば、100%は到底無理にしても半分くらい、あるいは1/3くらいは体系化でき、ジークンドーの哲学を後世の人たちに残せると考えていたからでしょう。
当時の代表メンバーもこの世を去り、今は数えるほどの人しか残っていません。直弟子の次の世代、ブルース・リーから数えて3世代目の孫弟子あるいはまた次の4世代目に当たる指導者が世界中で活躍しているのが現状です。
世界中にジークンドーの道場がありますが、先生の指導している技術内容は様々で、これ程まで違うのかとびっくりするほど異なっています。でもそれもそのはずです。まだまだ形になる前、完成からほど遠い時点で本人が亡くなってしまったわけですし、彼が1959年から1971年のアメリカ滞在中の12年間ずっと一緒にいて習い続けた人は誰もいません。直弟子と呼ばれていた生徒さんがブルース・リーに師事した期間もそう長くはなかったのではと思われます。この期間、彼の住居もシアトル、オークランド、ロサンゼルスと3回変わっています。この12年間に彼の練習内容もどんどん変化し進化していったはずです。
最後のロサンゼルス時代にブルース・リーの生徒であった、イノサント師父とバスティロ師父に縁があり、私はこの両師からジュンファン・グンフーの指導を受ける機会を得ました。私も両師からすべてを学んだわけではありません。ジュンファン・グンフーのエッセンスを習得したにすぎません。1996年に帰国してからアメリカで習った技術の復習を、初心者に指導するたびに再確認しながら行ってきました。今でも生徒さんからインスピレーションを受け、自分の成長を促すヒントをいただいています。どれだけ大切なきずきを与えてもらったか・・・お互いに成長していくパートナーだという認識はこれからも変わらないと思います。
日本で道場を開いて28年、指導を続けて今改めて自分自身の技術的な変化に気がつきます。基本、ベース、土台はもちろん変わっていません。バリエーション、コンビネーションと言えばいいのか応用、適用という言葉がわかりやすいのか?こうしたひらめきが体から湧き出るような感覚が度々あり自然に新しい技の流れができあがっていることがありました。実際に使えるかどうか?生徒さんと試してみます。実践可能ならば良し!今までの成功率は、6割くらいですか?他は失敗です。こんなことをしている間に自分なりの技術が増えてきたような気がします。もしかしたら自分が知らなかっただけですでに存在していた技かもしれません。
ジークンドーの思想を用いて修行を続けたらジュンファン・グンフーからミタチ・グンフーに移行してしまった。これで良いのかもしれないなと最近思っています。一人一人違って当たり前、「あなた自身の特性、特徴を生かしあなた自身のスタイルを確立、追求していきなさい。」ジークンドー哲学からはずれていないと信じています。
今は、幸いにもYouTubeで世界中の様々なジークンドーにふれることが出来ます。それぞれの個性が出ていて興味深い動画もありますし、これはどうかな?と首をかしげたくなるような動画もあり、まさしく玉石混交といった感じです。
彼の残した有名な言葉があります。
とても難しいことですが・・・つまり人それぞれ違っているのが当然でそれで良いのでしょう。
次の世代へのジークンドー
現在、ミタチ・アカデミーの道場で指導しているジュンファン・グンフーは、ロサンゼルスでリチャード・バスティロ師父とダン・イノサント師父から学んできたものに自分なりのアレンジを加えた技術です。これらをすべて公開し指導し、次の若い世代に伝えていけたらという思いで日々道場に立っています。隠すものなど何もありません。私は、「秘伝」だの「奥義」だのという言葉は信じていません。過去の武道家が自分の流派を権威づけるために吹聴したのだろうと考えています。それは「ちょっとしたコツ」と同等の価値くらいしかありません。
習得した技術をすべて公開し、指導し、それを受け取りたい人に渡していくまでです。本当に優秀な先生は、自分をも超える生徒を育て上げると言われています。自分が一番優秀だとふんぞり返っているような指導者ではだめだと思います。
ジークンドーは思想、哲学だと何度も述べてきました。ただ、これをわかりやすく説明するのがとてもやっかいで難しいのです。ブルース・リーがワシントン大学の哲学科にいた頃、傾倒し影響を受けたのは、老子、荘子、仏教の禅、インドの哲学者クリシュナ・ムルティだろうと思っています。彼の残した文章の中には、これらから引用された言葉がかなり入っており、「彼の考えていたことを知りたいのであればこれらの書物を読んでみて下さい。」と生徒さんにもよく言っています。
あえて簡単な一言で表すならば「ジークンドーとは、武術の流派の垣根を取り払い、自分に合った必要な技を取り入れ、合わない必要ない技を捨てて、自分の個性、特徴を加え自分に一番合った技術を追求し磨いていきなさい。」ということでしょう。
年齢的にも60を過ぎ、テクニックだけではなくジークンドーの考え方や教え、生きていくうえでしっかりとした主柱、人生の支えとなるジークンドー精神を多くの人に伝えていければと願っています。
取得認定証
1989年 ジュンファン・グンフー アプランティス・インストラクター、フィリピノ・マーシャルアーツ、アプランティス・インストラクター(イノサント・アカデミーより)
2005年 ジュンファン・グンフー シニア・インストラクター(IMBアカデミーより)
2006年 ジークンドー・パイオニアJeet Kune Do Pioneer賞(アメリカ武術協会US Martial Arts Associationより)
御舘 透 出演経歴
TV映像関係闘うスポ-ツ・バスツワー /日本テレビ
シネマ通信 /テレビ東京
ジェネX /日本テレビ
ワンダフル /TBS
めざましテレビ /フジテレビ
天声慎吾 /日本テレビ
新宿少年探偵団 /松竹映画(武術指導)
ジャスト /TBS
優香のマジカルSFX /フジテレビ
諸国漫遊記 /フジテレビ
炎のチャレンジャー /テレビ朝日
喜怒愛楽オールナイト /毎日放送
原宿ロンチャーズ /BS朝日
ブック・キッズ /ディレクTV
シネマ・パラダイス /日本テレビ
スポーツ・チャレンジ /MXテレビ
サムライ・ニュース /パーフェクトTV
DVD:御舘 透 ジークンドーへの道 /クエスト
DVD:御舘 透のジークンドー・トラッピング・アート第1巻 /クエスト
DVD:御舘 透のジークンドー・トラッピング・アート第2巻 /クエスト
DEAD OR ALIVE3(モーション・キャプチャー) /ポリゴンマジック
指名手配 /テレビ朝日
映画ほどステキな物はない /NHK・BS2
ぶらり途中下車 /日本テレビ
芸人調べ /フジテレビ
沸騰ワード10 /日本テレビ
ラジオサウンド・スペック /FMフジ
どないでっかグリル /毎日放送
桜庭あつこの爆NEWダイナマイト /有線放送39Ch
キャイーン情報部 /TBSラジオ
ディーパー・ストリート /FM東京
書籍御舘 透 秘伝ジークンドー護身術 /大泉書店
雑誌・新聞フルコンタクト・カラテ /福昌堂
月刊空手道 /福昌堂
武術 /福昌堂
格闘技通信 /ベースボールマガジン社
ゴング格闘技 /日本スポーツ出版
武王 /プロデュース
ライトニング /TVクラブ
クール・トランス /ワニブックス
ヤングマガジン /講談社
ゴルフ・ダイジェスト /ゴルフ・ダイジェスト社
SPA /扶桑社
スコラ /スコラ出版
週刊プレイボーイ /集英社
BART /集英社
新研ゼミ /ベネッセ・コーポレーション
コミックビーム /アスキー出版
東京スポーツ /東京スポーツ社
サンデー毎日 /毎日新聞社
世田谷新聞 /世田谷新聞社
月刊デジカン /ヒューマン・インターフェース・システム
カラテ・イラストレイテッド /ユニーク・パブリケーション(U.S.A)
メンズ・ボディ /インデックス・マガジン
メンズ・エッグ /大洋図書
マンスリーよしもと /吉本音楽出版
サントリー山崎(ポスター) /サントリー
イベントAKURA/ヌンチャク・デモンストレーション /ネオトキョウポップ
遊More達人倶楽部「ジークンドー護身術講座」 /文化放送
ジークンドー・デモンストレーション・お台場小香港 /デックス・トウキョウ・ビーチ
ジークンドー木人セミナー・お台場小香港 /デックス・トウキョウ・ビーチ